簡単なのに難しい親孝行(祖父孝行)

「読まれた方のお役に立てる情報を!」をテーマにしているのですが、今回はちょっとはずれてしまいます。ごめんなさい。

先日、祖父が危篤という知らせを受けました。そのときに考えたことを、どうしても記録として残しておきたくて書きます。

 

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二人の祖父

わたしには、父方の祖父と母方の祖父の、二人の祖父がいます。

今回、危篤の知らせを受けたのは、母方の祖父です。かなりの高齢です。幸い、峠は越え、現在リハビリをしています。まだまだ長生きして欲しいです。

 

釣り好きだった祖父

今、わたしが思い出しているのは、すでに亡くなっている父方の祖父です。こちらは同居しており、幼いころから遊んでもらった記憶があります。時にはケンカもしましたが、大好きな祖父です。

祖父は魚釣りが大好きで、わたしが幼いころより釣りに連れて行ってくれていました。わたしが物心つく前から釣りに連れて行っていたらしく、「海辺で食べるカップラーメンが最高だ!」などと、幼いわたしにラーメンを食べさせていたそうです。わたしは全く覚えていません。

祖父は釣りが大好きで、休日はほとんど釣りに出かけていました。

雨で釣りに行けない日は、家で釣り具の手入れや仕掛けづくりをしていました。わたしはなぜか、その祖父にあこがれ、横に座って釣り具の手入れの真似や仕掛けの作り方を教えてもらっていました。祖父はニコニコとうれしそうに魚釣りの話を聞かせてくれていました。

祖父は、退職後、暇さえあれば釣りに出かけていました。わが家は海の近くでありませんので、当然車で出かけていました。帰ってくると、「今日は潮が悪かった!」「今日は大きいのが釣れた!」などと、その日の話をしてくれました。

そんな祖父も、やがて車の運転ができなくなりました。年齢が高齢になり、危険だからです。当然、釣りにいく機会は激減し、友達に乗せてもらうか、孫のわたしが乗せていくときにだけ釣りに行くことができました。

わたしは当時、まだ大学生でした。勉強とバイトで忙しくしていました。祖父は釣りに行きたいと願っていることは知っていましたので、時々、「釣りにいこうか?」と誘いました。

祖父は、「いいね。じゃあ、今度の日曜日に行こうか。」とうれしそうに話してくれました。しかし、いつも前日になると、「明日は天気が心配だから、やめておこうか。」「おまえも忙しいから、また今度にしようか。」と、祖父の方から断られ、釣りは延期になっていました。

わたしは気づきませんでした。祖父は本当はわたしと一緒に釣りに行きたかったのです。しかし、自分のことより、わたしが勉強することやバイトなどの用事を済ませることを優先させていたのでした。

やがて祖父は病気になりました。内臓の病気で、座っているのも辛そうでした。「また釣りにいきたいね。」病室で祖父がわたしに言いました。「治ったら行こうね。」「早く良くなるよ。」わたしは祖父にいいました。

しかし、祖父は釣りに行くことはできませんでした。

わたしが就職し、数年後に静かに息を引き取りました。そのときわたしは、「祖父はわたしと釣りに行きたかったんだ。」ということに気が付きました。

なぜ、祖父が「明日の釣りはやめておこう。」と言ったときに、「いいよ、釣れなくても釣りに行こうよ。」と言えなかったのか。なぜ、祖父の気持ちが分からなかったのか。悔やんでも、悔やんでも、悔やみきれません。今も、この文を書きながら、涙が止まりません。

孝行できるのは生きている間だけ

分かっていたはずなのに、全く分かっていなかった自分が情けないです。

 

祖父からのプレゼント

わたしは、祖父から教えてもらった釣りが今でも好きです。祖父が、わたしのために作ってくれた釣り竿があります。いろいろな壊れた竿から部品を集めて、手作りで取り付けて作った竿です。すぐに同じところが壊れてしまいます。でも、わたしは、釣りに行くときに、かならずその竿を一緒に持っていきます。なんだか祖父と一緒に釣りに行っているような気がするからです。

祖父がわたしにくれたもの。それは「釣りの楽しさを教えてくれたこと」です。

もう祖父と一緒に釣りに行くことはできませんが、いつまでもこの竿は、わたしの宝物です。

 

父と母

今、高齢になった父と母がいます。

いい年齢になったわたしを両親はいつも心配してくれます。

母は「作りすぎたから食べて。」とコロッケを作ってきてくれます。

わたしが親孝行する番なのです。

わたしは、父と母に感謝しています。

いつまでも長生きして、楽しく暮らしてほしい。

 

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